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2018年3月12日月曜日

人生タクシー 

私は十日前、高校を卒業した。今、新しい生活を始めようとしている。
今日は近所の浜に散歩に行き、
空と水面の色が同じになる朝の光を浴びてきた。水面の模様が光として立ち上がって、コンクリートの防波堤に映るのだ。私は防波堤に背中を合わせて、数分そこからの風景をみた。

人生タクシーという映画がたまたまやっていた。

少女の映すデジタルカメラの映像と、
ドライブレコーダーの映像、
アイパッドで撮った映像、
映画として完成された映像。
いろんな映像がこの映画に同時に映り込む。
映像中の何気ない日常の会話は、とても現実的だ。


身近に見ている世界しか、私に関係ないように感じるけれど、
現実は私が海を見る眼の周りでもずっと続いているだろう。
私が空が美しいなあと思っていると同時に、全く反対の感想を呟く人だっている。
私の視点と他の人の視点は違う。
でも、もし隣に誰かがいた時、誰かと感想を共感しあうことが出来る。無言のままでもいいし、全く関係ない話をすることもある。わざとそうすることもある。同じ感想をお互いに繰り返して、感動を互いに確認し合うことだってあるかもしれない。

そう言えば、朝一人で海を見る時、周りにカメラは見当たらない。
自分のポケットにもない。
この時を記録するものはなくて、私が何を感じようと社会に批判されたりしない。
美しさは心に焼きつくだけで、写真として残らない。
私はそこに、特別なことを見出そうとしているけれど、これはなんだろう。


手塚治虫のメトロポリスを読んで、
科学技術が進んだ社会が崩れていくことが頭の隅っこにある。
私が生きている社会と、そこに生きている私。ロボットは労働力のとして作られて、壊れたら捨てられる。ロボットも感情を持っているのに、それを表に出したら捨てられてしまうから何も言えないのだ。




映画を撮るときに




まず、現実を映しましょうというのに

暗い現実や本当のことは隠しましょうと言われる




じゃあ現実って何?























(写真は映画「人生タクシー」から)

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